結の雲晴寺
平成30年10月31日
岐阜県大垣市安八郡に結(むすぶ)という所がある。
そこにはかつて、雲晴寺というお寺があった。日蓮宗寺院名簿には、名前だけは残っている。
幼い頃、祖母から、このお寺の庵主様の話をよく聞かされた。
その庵主様は、若い頃嫁いだ先が法華で、どうにもその法華が嫌いで、床の間に掛けてあったお題目の掛軸を外して、幼き子供を置いて家を出た。
その後、置いていかれた子供は、成長して一眼お母さんの顔を見たいと父に頼んだ。
父は、お母さんの居場所を教えて、一張の太鼓を渡した。どうしてもお母さんに会いたいなら、太鼓を撃ってお題目唱えて会いに行ってくるといい、と伝えた。子はどうしてもお母さんに会いたくて、太鼓を撃ってお題目を唱えてお母さんに会いに行った。
その子の姿を見たお母さんは、私のした事を重大さに気づいた。
そして、庵主様に成る為に、身延山に籠られた。
そして、尼僧となり、雲晴寺の住職となられた。
この人こそ、私の母方の高祖母である。
太鼓を撃ってお母さんに会いに行った子こそ、私の曽祖母である。
私は幼い頃この話を、祖母よりよく聞かされた。
その高祖母が住職をしたという岐阜県安八郡の雲晴寺に参拝した。今はお題目の宝塔様が数基、有縁の方のお墓と、そして、高祖母のお墓を見つけた。涙が出た。
お自我偈を上げたら、雲が晴れて光がさした。
まさに雲晴れる寺であった。
お題目の功徳は時を超えて生き生きとその所にあってその所を輝かしている。
魂が冴え渡る思いがした。
雲晴れて
妙なる種をまきしらし
法の花さく
春ぞ楽しき
深信院妙戒法尼
森下妙戒
昭和4年2月20日御遷化