昭蓮寺Day`s18

井戸端会議18

 

進藤先生は、毎回〆切ギリギリまで、入稿されない『井戸端会議』にいつも気を揉んでおられたことでしょう。実は今回、どうしても、〆切までに間に合わすことが出来ず、2、3日の猶予を下さいとの電話を致しました。すると、先生は、「貰った電話で悪いんだけどね。今回で一先ず『JYURAN』を一区切り付けたいと思うんだよ。」と申されました。そして、次に仰せになられたお言葉に、思わず驚き笑いがこみ上げてきました。笑いなどというと大変失礼ではありますが、それは、こんな言葉でした。「ちょっとね、もう少し自分磨きをしたいと思うんだよ!」というものでした。私は、考えました。先生の様な、年齢になられても、まだ自分磨きをしたいと思われるのか・・・と驚嘆すると同時に、その『進藤義遠』という人物の、謙虚さとその生き方と、その偉大さに何とも有り難い思いがこみ上げてきたのでありました。斯くして、今回で十八回目を向かえるこの『井戸端会議』も、一先ずの区切りを向かえます。一年半に渡り、お読み頂きました『JURAN』読者の皆様に於かれましては、誠にありがとうございました。そして、何より、ATD研究員として執筆の機会を与えて下さいました、進藤義遠御上人様には、心より感謝申し上げます。

さて、私の担当させて頂いたこの『井戸端会議』では、月日頃、おこる出来事やそれに思いを馳せ、私なりにそこから導き出されるお釈迦様と日蓮聖人のお言葉を綴ってきました。しかし、思い返せば、なんとも浅はかな愚考を巡らしたものだと反省するに暇がありません。東日本大震災から、三年半以上を過ぎ、あの衝撃も薄らぐ今、私たちこの法華経と日蓮聖人にご縁あるものたちは、どのように生き、そして、何を伝えて行かねばならないのでしょうか。今一度、この胸に手を当て考えてみたいと思います。

日蓮聖人の御生涯は、『立正安国論』に始まり、『立正安国論』に終わると言われます。それは、国家を諫暁した書であり、そして、何より、門下に対し最後に伝えたかった書物であります。この深々の意義につきまして、まさに愚禿が論じることなど出来るはずもありませんが、敢えて勇気を出して、その一端に触れたいと思います。

『立正安国論』に曰く、

「世皆正に背き、人悉く悪に帰す。故に善神は国を捨てて相去り、聖人は所を辞して還らず。ここをもって、魔来り、鬼来り、災い起り難起る。言わずんばあるべからず。恐れずんばあるべからず。」

(世の中のすべての人々はが、正しい教えに背いて、悪法邪法を信じているため、この国土を護り法を護る多くの善い神様は、この国を捨て去り、正しい法を広める聖人も去って、還ってこないから、その隙に悪魔や悪鬼が押し寄せてきて、次々に災難がおこるのです。言わずにはいられないことであります。恐れなければならないことであります。)

昨年は、二月の豪雪からはじまり、東北・北関東での止まない余震に加え、伊予灘、伊豆での地震、デング熱、広島での土砂災害に、御岳山の大噴火、更には十月八日の月蝕と続き、十一月には、西日本で、「火球」と言われる、眩しく光る大彗星が現れました。まさに立正安国論に説かれる、七難の様相を呈しています。残す所は、自界叛逆難と他国進逼難というところでしょうか。

自界叛逆難(じかいほんぎゃくなん)とは、国内で、内乱が起きること、他国進逼難(たこくしんぴつなん)とは、他国に攻め入られるということで、考えようによっては、既に起っていることでしょうか。

そんな、私たちにとって、命ほど、尊いものはありません。そして、先ずは自分自身が健康で、そして、安全に暮らして行けることをいつも願っています。

しかしながら、よくよく考えてみますと、その命の安全や健康は、個人の住む地域や、国や大きくは世界全体や、地球環境やそういった、国土全体が安全で、安穏でなければ、まことの健康や安全な生活を得ることはできません。

例えば、こんなことがあります。最近は、どこの学区でも入学手続きの書類の中に、その保護者のメールアドレスの記入欄があります。学校は、そのメールアドレスをもとに全生徒のメーリングリストを作成し、台風による休校のお知らせや、不審者の出没といった情報を送信してきます。そんな時、ふと思うことがありました。中でも、「地域に不審者が出ました。それは、こんな風貌で、この様に話しかけてきて、こんなことをしました。」という詳しい情報は、子供を育てる親はもちろん、孫のいるおばあちゃんにとっても、とても心配になる情報でしょう。そろばん塾や近くの公園に遊びに行かせることも不安になります。本当なら子供たちが健康で元気に外に遊びに行くことは、とても有り難いことです。しかし、どんなに健康で元気でも、一人の不審者のお陰でその地域全体が不安になり、子供たちがどこへ出かけるにも心配になってしまいます。

ましてや地域全体、国土全体を不安にさせる様な巨大台風や伝染病、放射能汚染、ここ数年噂される巨大地震、隣国の政治的圧力や武力は、言うまでもなく人々の心の奥底でいい知れない恐怖と不安の種となっていることでしょう。

しかし、科学文明に生きる、私たち現代人は、台風が来れば、天気予報を眺め、毎日その動きや雨量の情報を知ることができます。そして、地震はこの地球を形成する大きな幾つかの地殻の変動によって起きることを知っています。それは、けっして悪魔や悪鬼の仕業でもなんでも無く、私たちの力ではどうすることもできない、実に地球誕生以来の自然現象であり、まして人間の心がこの様な自然現象に関わっているなどとは思ってもみないのであります。

一方、どれだけ科学が発達して、その地震を予測することが出来ても、台風の動きを知ることが出来ても、それによって、人々の不安を払拭することが出来るのかというと、それは疑問です。むしろ、過大な台風情報は、イソップ寓話の「オオカミ少年」の様になりつつあるようにも感じますし、大自然の大きな力の前に私たちはなす術が無く文字通り全てが「想定外」となることは明白な現実的事象として、以前私たちの眼前に横たわっているのです。

そんな中、先日は、鹿児島県知事は、経産省の要請を受け入れ、川内(せんだい)原発の再稼働することに同意しました。未だ収束のめどの立たたない福島第一原発からは放射能が漏れ続け、16万人が住む家を追われ、避難生活を余儀なくされ、更には次々に見つかる子供たちの甲状腺がん、10万年間、安全に保管しなければならない放射性廃棄物の捨て場所すら無いにもかかわらず、その同意表明となりました。常軌を逸したかと思われるこの国は、まさに悪鬼がその身に入り込んでいるかの様であります。一体何に怯えているのでしょうか。

この様に今日本国が抱える多くの諸問題を考える時、全てが経済最優先の市場原理主義社会を目指し、経済的に豊かになれば、人々は幸せになれるとの「信仰の寸心」を今ここで見つめ直し考え直さなければ未来はありません。

仏法による警告とそれに符合する天地の警告。こんな時代だからこそ今まさに「汝早く、信仰の寸心を改めて、速かに実成の一善に帰せよ。」との日蓮聖人のお言葉を噛み締めずにはいられません。

 気づかねば ならぬ仏の親心 ならねば国の 安穏はなし

 

 

 

 

 

 

 

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