昭蓮寺Day`s17

井戸端会議17

 

 九月十二日、この日は、日蓮聖人を信奉する者にとりましては、殊更に大切な御聖日であります。日蓮聖人は、鎌倉幕府に、『立正安国論』を奉進されて以来、松葉谷ご草庵の焼き討ち、伊豆へ流罪、小松原での襲撃と数々の難に遭われました。その中でも、文永八年(1271)九月十二日の「龍ノ口法難」は、平頼綱の一行に片瀬の処刑場に連れていかれ、斬首されようと首の座に座られた大難でありました。建治元年に身延でしたためられた『種種御振舞御書』によりますと、「江のしまのかたより月のごとくひかりたる物、まりのやうにて辰巳のかたより戌亥のかたへひかりわたる、十二日の夜のあけぐれ人の面もみへざりしが物のひかり月よのやうにて人人の面もみなみゆ、太刀取目くらみたふれ臥し兵共おぢ怖れけうさめて一町計りはせのき、或は馬よりをりてかしこまり或は馬の上にてうずくまれるもあり云々。」(江ノ島の方向から月の様に光った物が鞠の様に東南の方から西北の方角へ光り渡った。十二日の夜明け前の暗がりで人の顔を見えなかったが、この光り物の為、月夜の様になり人々の顔も皆見えた。太刀取りは目がくらんで倒れ臥し、兵士共は怖れて頚を斬る気を失い一町ばかり走り逃げ、ある者は馬から下りてかしこまり、ある者は馬の上でうずくまっている。)と、この不思議により処刑を免れた日蓮聖人は、後に佐渡へ流罪となるのであります。

そして、この大難を境に、一層の法華経の行者の御自覚に立たれるのでありました。後世、日蓮聖人を御一代を伝える時、佐渡遠流前と佐渡遠流後と大きく二つに分けることができ、特に塚原にてしたためられた『開目抄』と一谷(いちのさわ)に移られてからは、『如来滅後五五百歳始観心本尊抄』とは、日蓮聖人の教えを学び行じる上でとても大切な法門として後世の私たちには貴重な示唆を与える遺文となりました。

『開目抄』には、「日蓮といゐし者は、去年九月十二日子丑(ねうし)の時に頚(くび)はねられぬ。此は魂魄(こんぱく)佐土の国にいたりて、返る年の二月雪中にしるして、有縁の弟子へをくれば、をそろしくてをそろしからず。みん人、いかにをぢぬらむ。」と仰せになっておられます。

この様に、九月十二日は、日蓮聖人の御生涯に於いては、命がけの大切な分岐点となるのであります。

さて、私にとりましても、今年九月十二日は忘れがたい日となりました。

それは、こんな出来事でありました。

今年の春、自坊の参道を出た所にお一人で住む、ある男性がお亡くなりになられました。数年前から持病を煩っておられ、他宗の方ではありましたが、時に病気の平癒の祈願にお越しになれたこともありました。しかし、遂にその寿命を終えられました。お葬式を終え、その数日後、その弟の方がお寺にお越しになられ、兄の住んでいた家をお寺で買い取ってもらえないか、というご相談でした。というのは、その無くなられた男性が住んでおられた家は、お寺の借地に建っていた家で、しかも、平成になってから建て直した家で、外装もまだ新しく、取り壊してしまうには、もったいない、まだまだ十分住める家でした。借地の上に建つ物件ということもあり、そのご相談でありました。相談を受けたものの、住職一人で決めることは出来るはずも無く、総代様に相談するということで、その場の話を終えました。この話を母から聞かされた時、すぐに私は、もしお寺でその物件を譲り受けて頂けるならば、私が住まわせて頂毛穴言うものかと、臆面もなく思ってしまったのでありました。

それには、幾つかの理由がありました。

今の私の住まいは、お寺から車で十分程離れた所にあり、(9年前から住み始めました)お寺の仕事をするには不便を感じながらの生活でした。それに、頂戴した大切なお布施の中から、家賃を払うという、まことに心苦しい借り暮らしで、まさに、現代の渡世坊主そのものでありました。お寺がありながら、様々な理由でそこに住めない自らの徳のなさと、罪深さを感じておりました。そんな思いを払拭しようと、ここから太鼓を打って出かける日々が続きました。地域の清掃や、不燃物の当番にも参加しました。その間、心にはいつも、「即是道場」の文字を念じ、ささやかな御宝前を拵え、迷惑も顧みず、朝夕お参りをしました。時には、太鼓をトントン撃ってお参りをすれば、壁をドンドンと叩かれ、家内と二人で、ご近所様に会えば、太鼓うるさくてごめんなさい、と頭を下げ、時には、上に住む顕正会の御信者の方に折伏され、御祖師様の御曼荼羅様を貶(けな)され、それでもめげずにお題目をお唱えしました。

そんなある日のこと、先に記しましたお話がありました。

もしそこに住まわせて頂けるなら、そんな有り難いことはない、夢の様な話だと思いました。
その後、総代長さまに相談し、その旨をお伝えしました。早速総代会が開かれ、役員の皆様には、すぐにご理解を頂き、話はトントン拍子に進みました。そして間もなく、総代長さまから、こんな話がありました。「お金のことは、心配しなくてもいいですよ。今月、お寺の本堂に掛けてあった、火災保険がちょうど30年の満期になりお金がおりるんですよ。」と、その話を聞いて本当に驚きました。と同時にその金額がなんと、売り主の希望の売却価格とピッタ同じだったのです。こんな不思議なことがあるのですね、と総代長さまとお話をしました。その後、友人の不動産屋さんを介して様々な手続きを経て、売買契約を結ぶ日になりました。その日取りや手続き等、すべて総代長さまに御任せしてありましたので、知る由もありませんでしたが、その契約の日取りが、九月十二日だったのです。

 この借り暮らしの9年間は、本当に色んなことがあり、この地を出て他の土地で、一からスタートしようと本気で思った様な、悔しく苦しい出来事もありました。自分の弱さや不快なさ、罪深さを恨んだこともありました。そんな中、この様なことの運びとなり、一銭の寄付も募ること無く、借り暮らしから一転、お寺すぐ隣に住まわせて頂けるご縁を頂戴できたのです。何とも不思議なことであり、それ以上に何とも有り難いことで、家内を始め家族の者たちとただただ、両手を合わせずにはいられない日々でした。先の住人の男性は、他宗の方でありまして、もともと法華経とはご縁の無い方でありましたが、当病平癒の御祈願のもとに結ばれたお題目とのご縁が、後押しをして下さったのでしょうか。心よりご冥福をお祈りさせて頂きたいと思います。

そして、私の我侭(わがまま)を聞きいれて下さりご尽力頂きました、総代長さまをはじめ役員の皆様、すべての檀信徒の皆様に心より感謝致します。

この九年間に学ばせて頂いた様々な経験を肥やしにすると同時に、日蓮聖人が、怠け者の私に与えて下さった佐渡の地であると心し、生まれ変わった気持ちで精進を重ねていかねばならないと、決意を新たにする今日この頃であります。

 

ようようと 赤くなりゆく 月のぼり

聖人の難 偲ぶ おもいを

    

 

 

 

 

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