昭蓮寺Day's16

井戸端会議16

お盆開けのある日、私は、家族と共に家内の故郷、福島へ向けて出発しました。末っ子の双子が生まれてから、行きたくてもなかなか行けなかった、身延山の御廟所にご挨拶をし、少々寄り道をしながら、東北道を北へ北へと車を走らせました。福島が近づくにつれ、手元の線量計は、0,2~0,4μSvを計測し始めました。地元愛知の実に7~10倍の放射線量です。福島第一原発の大事故から、3年以上が過ぎ、空間の放射線量は以前に比べて大分下がってきたようです。

今回の福島への帰郷には、三つの目的がありました。一つには、事故後、一度もお参り行く事が出来きていない、家内の先祖のお墓参りに行く事。

もう一つは、曾孫の顔をまだ一度も診ていない、曾祖母に孫の顔を見せに行く事。そうして、もう一つは、宮城県角田市に住む、陶芸家、池田匡優さん(いけだまさゆき)に会いに行く事でした。

 家内の父方の祖父は、熱心なお題目の信者で、今は福島市の中央に位置する、信夫山の霊園に葬られています。沢山の樹木の生い茂るその信夫山は、いわゆる放射能のホットスポットで、3年前は近づく事も危ないとされるくらいの高線量の放射能を発していた所です。今は線量も下がってきてはいるものの、子供を連れてはお参りには行けません。

曾祖母は、首を長くして、孫に会える事を楽しみにしているとのことでした。遠くから、双子の誕生を祝ってくれた曾祖母の喜ぶ姿が同時に私たち家族の喜びでもあります。そして、三つめの目的、池田さんは、ネットを通じて知り合った方で、その素性をあまり深くは知りませんでした。それが、以前、そのネットでのやり取りの中で、池田さんの作品『KAMIKAZE REACTOR』を一つ分けてもらえないかと訊ねたところ、見も知らぬ私に、その作品をご供養して下さったのでした。ネット上でのご縁とはいえ、私は、是非この方に一目お会いしたいと思ったのです。今回は、この池田匡優さんに宛てたお手紙を紹介する事とします。

池田匡優様

南無妙法蓮華経

 先日は、突然の訪問に関わらず、暖かくお出迎え頂き、ありがとうございました。正直に申せば、一晩お世話になって、ゆっくりと何か呑みながら、四方山お話しをしたい所でした。

この度の、福島訪問は、震災後に家内の祖母の様態が悪化し、その折、妻一人で、一泊二日の訪問をして以来、家族での訪問は実に2年半ぶりの事となりました。

 放射能の事は、とても心配で、出来る事なら子供たちを連れての訪問は、避けたいと思っておりましたが、双子が生まれてからまだ一度も顔を見たことの無い曾祖母が元気なうちに一度は顔を見せたいと思い、思い切って帰郷しました。曾祖母の喜ぶ顔を見ることができ、本当に来てよかったと思いました。しかし、頭の中では、放射能への危険性が頭を離れず、心境は複雑でした。

いつかの、NHKの特集番組で放射線研究の第一人者、岡野眞治氏が仰っていました。「3年くらい経つと、空間の放射線もだいぶ落ち着いてきて、それまで、食品など気にしていた人たちが、もう大丈夫だろうと、気を緩めるようになるでしょう。しかし、そうした時にこそ、一気に内部被曝の危険性が高まるでしょう。」

 まさに、この言葉の通り、食卓には桃や梨がずらっと並びました。取れ立ての桃を嬉しそうに剥き、卓袱台(ちゃぶだい)に持ってきたものの、私たちが手を付けようとしないを見て、福島弁で「ほら、どうだい、たべないのかい?」と語りかける曾祖母の言葉に胸が苦しくなり締め付けられる様な思いを致しました。

 お土産には沢山の梨を頂きました。ありがとう、と礼を言い持ち帰ったものの、口にする事はありませんでした。

この心の痛みや悲しみや悔しさを、一生忘れる事はないでしょう。

 しかし、私の苦悩など、とるにたらなものです。放射能のその危険性を心の奥では、感じつつも、そこで暮らさざるを得ない方々の苦悩は、計り知る事が出来ません。

 僅か、三日間の滞在でしたが、帰宅後、長男は、腹痛と嘔吐にみまわれ入院、自家中毒か、急性腸炎か、医者も病名を二転三転し、正直には言いませんが、原因がよくわからないといった様子で、福島に行った事を伝えましたが、さすがに総合病院に勤務する医者に、本音を言えるはずもありません。

その後、長女も発熱、嘔吐、次男も微熱が続き、いつもお世話になっている掛り付けの町医者に診てもらいました。血液を検査して炎症反応も無く、ウイルス性でもなく、いずれも原因は不明とのことでした。同じく、福島に行った事も伝えました。すると、その医者は言いました。

「放射能の影響は、無いという医者もいるが、僕はあると思う。僕は、腎臓の専門で、造影剤を入れて放射線を当てて検査する事があるけど、放射線を使った日は、僕はする側だけど、その日は体がだるくなる。だから、放射能の影響は、ないわけがない。福島は、本当は子供の住める様な場所じゃない、甲状腺がんの子供を福島医大に集めて一体、国は何を隠蔽しようとしているんだ。」と、憤りを露にしておられました。

 長男は、その後、元気になり退院し、幼稚園へ行くようになり、長女と次男も回復の兆しです。ご安心下さい。

 しかしながら、仏法を信奉する、私どもにとりましては、如何なる出来事が起ころうとも、お釈迦様の教えに照らし合わせ、その出来事と自らの行動を見つめていかなければならないと思うのです。

 もし、この世に目には見る事は出来ませんが、お釈迦様の大いなる力が働いており、この世の一切の出来事が、お釈迦様からのメッセージと信じるならば、この現実から一体、何を学ばなければならないのでしょうか。

 日蓮聖人は、「衆生のこころけがるれば土もけがれ、心清ければ土も清しとして、浄土といい穢土というも土に二つの隔てなし。ただ我等が心の善悪によると見えたり。衆生というも仏というもまたかくの如し。迷う時は衆生と名づけ、悟る時をば仏と名づけたり。」と仰せになられます。

 このような法華経の世界観から、この世を見渡せば、天には月が輝き、大地には、翠緑に輝く稲草が茂り、山肌を吹き抜ける心地よい風と土の匂い、美味しいお米に、撓わに実る果実、どれをとっても、この世こそ、まことのお浄土であると信じずにはいられません。

 池田さんにお会いしお話を伺った時、そのお姿から、40年前、インドを旅された時、霊鷲山にて結ばれた、そのお題目の伊吹をひしひしと感じる事が出来ました。今そこにある、あらゆる厳しい現実から、目を背けず、謙虚に、そして、ひた向きに、それと向き合うお姿こそ、今の日本人に必要な心のあり方と生き方であると思いました。

いつの日かまた、お目にかかれる事を楽しみにしております。

 

石黒友大 拝

 

 池田さんは、若かれし頃、インドを旅されたそうです。その折、霊鷲山にて、三日間、下山する事無く、寝袋にて睡眠をとり断食の唱題行をされたそうです。その様な体験のお陰で今の私があると仰っておられました。私にとりまして、この出会いもまた、一つの大きな財産となりました。

 

金色に 輝く月の 照らしける

蒼き星こそ 浄土なりけり

 

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