昭蓮寺Day's9

井戸端会議9

南無妙法蓮華経

 自坊、昭蓮寺の福寿草の蕾も膨らみ、いよいよ春がそこまで来ています。日差しも少しずつ強くなり、風の穏やかな日に、お太鼓を撃って歩けば、額に薄らと汗がにじみます。昨年の六月号からこの月刊JURANの「ふるさと寺」のコーナーを担当させて頂く様になり、初回「フクシマを想う」を含め早、十回目となりました。この度は少し、日頃の何気ない心の内を綴りたいと想います。

 私の住む町、この江南の街を歩き始めて、8年の歳月が流れました。最近は、心忙しくなり、車で出かける事が多くなりましたが、時間を見つけては、トントンとお太鼓を撃って出かけます。道行く学生や、おばさんに挨拶をしながら、行き交う人に、深々と頭を下げ礼拝をします。この但行礼拝の行は、ただの真似事に過ぎませんが、心の中は、いつもわくわくしています。人々の心の一粒一粒の仏種が、お題目にすれ違う、ほんの一瞬の縁にふれて、僅かな水分を得て発芽する種の様に、遥か永い命の繰り返しの中にいつしか必ず、その華に気づくであろうと、想像するとわくわくするのです。そして、燦々と降り注ぐ日の光に照らされていつしかこんな想いも涌いてきたりします。それは、私がお題目を弘めるのではなく、お題目様が自ずと人の心に弘まるにちがいない。だから、私は、但、そのことを信じてお題目を唱え、太鼓を撃って歩くだけです。そう思えると、自然に自分の全身から、気負いの様なものが消えていきます。末法の世に生まれた愚劣な人間として、大それた事が出来るなどと思い上がっても仕方ありません。このお題目様にどのような力が具わっているのか、そのまことのお力を今の自分には、到底計り知る事は出来ませんが、怠惰な自分をいつも奮い立たせてくれる妙薬であることに違いありません。お題目に出会い唱えておっても、このざまです。もしお題目に出会っていなかったらと想像するだけでゾッとします。

そして同時に、お題目に出会う事が出来て本当によかったと想うのです。そにように、今の自分を見つめても、今の日本を見つめても、お題目を唱えさせて頂けるその原動力は、善い事よりも、悪い事であることが多いように私には思えます。このような思いで今の宗門を垣間みて、そこにおいでの日蓮宗教師方々を見させて頂くと、改めていろいろなスタイルや、考え方の方がおられる事に気づかされたりも致します。

 例えば、立派な本堂を建てたいとか、占いをして多くの信者を獲得したい、立派なお上人様だと崇め奉られたい、潤沢に寺院経営をしたいとか、はたまた、お葬式で稼ぎたい、もっと説教が上手くなりたい、荒行堂に何回も行きたい、伝師様になりたい、荒行堂で全堂木柾をしたい、信行道場の先生になりたい、声明導師になりたい等々、誠に人それぞれ、千差万別であります。

また、一方、深い信心の境地に至りたい、日蓮聖人の唱えたお題目の境地を知りたい、御遺文や法華経を学び日蓮聖人やお釈迦様、その心に触れたいという信仰的目標を持つ方も、これまた大勢おいでです。

 私の場合には、どちらだろうかと自問自答すれば、どうも後者の信仰的目標をいかにして達成するか、その為のお題目修行者である為には何をしなければならないのか愚案を巡らすタイプである様に思われます。

しかし、この事を考え、自分にどうする、どうすると迫れば迫るほど、心が重くなり、体も思う様に動かなくなって、いつの間にか、茫然として立ちすくむ始末です。

しかもこうした目標の達成が、決して一人では可能なものでない事を知れば知る程、自分の器量の小ささや、自分を心底支えてくれる人々との絆(きずな)が極めて薄っぺらなものであることに気付かされて愕然としたりもします。できるだけ多くの縁に触れ、善き友に出会い、悪しき自らの心を戒め、真剣に自分自身と向き合い、そして、苦しみながら自分の身の回りに起こりくる万事をありのままに受け入れ、そして時には、歓喜の涙に咽(むせ)び、時には己のふがいなさに歯ぎしりしてもがき苦しみ、縁ある方々と、互いに磨き磨かれ、その暁に達成されるであろう深き信仰の極みを思うと、その道のりは果てしなきことに今更ながら、身も心も震えるばかりです。

そんな思いを胸にして、両手を合わせ、お釈迦様、日蓮聖人と向かい合うと、いつも決まって、お二人は私の心の奥底をじっと見つめられ、「そなたの日々の一々を、心素直に反省し、明日に向かって、南無妙法蓮華経、南無妙法蓮華経と懺悔のお題目をお唱えするとよいでしょう」と優しく、ぬくもりのある声をかけてくださいます。

 そして、その度に、私は言い知れぬ感動に、その胸の内を熱くして、法華経の仏様の深き心や、日蓮聖人の深き心を、凡夫の浅知恵で、捏ねくり回して議論するよりも、ただ素直に、そこにあるその心を感じる事のできる、浄らかな心を大事にして、シンプルにお題目を唱えよう、そして我が内にある仏となる為の原糸(もといと)を紡ぎ出していきたいと想うのです。

 それは、老いた阿仏房様が、お祖師様に出会ったとき、理屈ではない感応道交がそこにあったように、そんな素直な心でいたいのです。

 このように、今回の井戸端会議は、こころの奥の思いを素直に綴りました。これこそ、浅はかな心意気かも知れません。がしかしそうして、また明日もトントンと江南の街を歩きたいと思うのです。

 

深々と 下げる頭のその中に 傲慢無礼な 我が身ありけり

 

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