昭蓮寺Day's5

井戸端会議5

 

一雨一雨、秋が深まり、朝夕は肌寒くなりました。この頃になると、月は輝きを増して、薄らと雲のかかる月夜には、月光が輪になり虹色に光ります。

月を眺め、手を合わせ祈ると、その向こうには自然と忠安寺の三日月和尚のことを思い出します。今月も、井戸端会議のお時間がやって参りました。それでは参りましょう。

さて先日、月回向に伺ったあるお宅で、いつもの様にお茶を出して頂くのですが、待っているその僅かな時間にある小冊子を捲っておりました。普段から、私の糞色の頭陀袋の中には、お太鼓、教箋、要品、御書類集、暦、香等々の七つ道具を忍ばせてあります。その中の一つに、岐阜県の関ヶ原の合戦跡地からほど近い、垂井町(たるいちょう)にあるNPO法人「泉京・垂井(セント・タルイ)」から発行の小冊子で、所源亮さんの書かれた『原発と日本人』が肩を並べて入れられています。

源亮さんの母(当時・85歳)、所やなぎさんの貴重な戦争体験や広島・長崎における原爆投下、その体験から生まれた核への不安と疑問、それゆえに今日まで続ける事になった数十年に及ぶ反原発の運動がありました。ある時やなぎさんは、東日本大震災によってひきおこされた、福島原発核爆発と、それに伴う放射能が垂れ流しの情報を頻繁に見聞きした事で、すっかり心身ともにに疲れてしまわれました。やなぎさんが何に疲れたのか?と言えば世間様が口を酸っぱくして言い続ける原発と放射能の危なさが、どれほどのものかいっこうに見えてこないからでした。そこでどれほど危ないのか、数字にしてくれないかとご子息に頼んだのです。と申しますのも、ご子息の源亮さんは一橋大学イノベーションセンター特認教授をなされていましたので、その方面には明るい方だったからです。そして、ご自身の母の為にと、一体どれほどの放射能がまき散らされたのかを、計算し解りやすく解説なされました。それが「原発と日本人」という小冊子なのです。この中で、源亮さんは、政府発表の7,2億テラベクレルの放射能漏れがチェルノブイリ原発事故の約138倍もの放射能であることや、日本における食品の放射能基準値のあまさを厳しく指摘し、日本の近未来はチェルノブイリを遥かに凌ぐものである事をシッカリ、国民全体が正しく認識すべきであることや、自分を守るのは国家や政府ではなく自分自身であると気づくべきだと述べられました。

 

実に内容の濃いもので他にもここで紹介したい事がありますが、ここでは、その始まりに書かれた「我々は星の子」という言葉にスポットを当ててみたいと思います。

源亮さんは、「地球は46億年前に太陽とともに宇宙の塵からできました。宇宙の塵は、太陽のより大きな星々がその一生を終える時に起こした超新星爆発と星の内部の核融合で作られた元素がその源です。我々はその宇宙の塵から生まれました。ですから我々は星の子です。」と述べておいでです。

 

この「星の子」という表現を目にして私は直ぐに、法華経に説かれる、「一念三千」の教えのことを思い浮かべました。

そこに説かれるのは、私たちの一念に、山川草木を含む大地・国土とその国土に栄える文明社会、そしてそこで生きる私たちの心の動きやその振る舞いの全てが、ほんの僅かな一念の中に全て含まれるという真理であります。

また、それら全て網の目の様にが互いに関係し合い、影響を及ぼし合っているということです。しかし、国土という物質としての地球全体や大地のマントルの動きや地殻の動きまでも、私たちの一念に含まれているという真理を観心し実感としてとらえることはとても困難な事であり、そして信じがたい事であります。

それと比較すれば科学的実証に基づいた「我々は星の子」という表現は現代人にはしっくりとくるものです。超新星爆発から宇宙に飛び散った塵が137億年も長い時間をかけて、衝突を繰り返し集まり、四十六億年前に出来上がった星の一つに地球があり、人間を構成する元素は、96%が有機質の酸素、炭素、水素、窒素の四つの物質で、残りの4%が、主にカルシウム、リン、硫黄、カリウム、ナトリウム、塩素、マグネシウム、鉄、等、56種類の無機質で構成されていて、更には、 地球上の生命を含むすべての物質は、たった110種の原子の様々な組み合わせでできいるということ。

 

更に驚くべき事は、ストロンチウムやセシウム、ゲルマニウム、ヒ素や水銀まで、本来毒物とされる物質や放射線を出していた物質までもが人間構成元素に含まれ、 タンパク質は炭素、水素、酸素、窒素、リン、硫黄の原子から構成されたアミノ酸で、炭水化物は主に炭素と水で出来ているということ。

その中の有機質である、酸素、炭素、水素、窒素は、体内の四菩薩的要素として存在し、生命にとって必要不可欠な「水」は「二つの水素」と「一つの酸素」で出来ているということ。

これらの事は私にはまるで、釈迦牟尼佛と多宝如来が南無妙法蓮華経の宝塔に寄り添うておられるように思えたりします。

 

およそ全ての生命あるものは、それらの物質の仕組みや構成など何一つ理解せずとも、自然にその働きである因果の功徳を譲り受け、今、げんにこうして生かされています。

 

眼には観る事の出来ない、様々な元素が、呼吸や食事といったコントロールできる有機的働きと、食欲や心臓の鼓動といったコントロールできない無機的な働きにとによって、反復運動を繰り返しながら生命を支え続けているのです。

まさに「不可思議境(ふかしぎきょう)」であり「妙法・妙用」であります。

仏教と禅を欧米に伝えた鈴木大拙は、この「妙」の境地をシェイクスピアの「お気に召すまま」の台詞を引用して、次の様に表現しています。

「“O wonderful, wonderful, and most wonderful wonderful ! and yet again wonderful...” 」

「おー、ワンダフル、ワンダフル、最高にワンダフル、ワンダフル、更にもう一度ワンダフル・・・」

お祖師様は、『観心本尊抄』の中で、「妙覚の釈尊は我らが血肉なり、因果の功徳は骨随に非ずや。」と仰せになられました。

「星の子」ならぬ、「仏の子」と説かれる法華経の教えに出会い、そこに大信力を起こす時、最高にワンダフルな思いで、時空を超えた永遠の命に出会う喜びを得る事ができるのではないでしょうか。

 

 

ワンダフル 全ての命は ワンダフル

 
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