ごあいさつ

ご挨拶
 
南無妙法蓮華経
この度、第19世を拝命致しました、石黒友大でございます。江戸時代、徳川幕府によって築かれた寺請制度に追い討ちをかけるように明治政府による廃仏棄釈は、仏教の破壊と僧侶の破戒を加速し、個の宗教から、地域社会、村社会へ、 主観的宗教から、客観的合理的宗教へ変貌して、単なる組織としての既成仏教と成りました。そして、立正安国論の予言通り、大正2年の関東大震災から、226事件のクーデターの自界叛逆の難、昭和16年大戦開戦、本土空襲の他国侵逼の難、原爆投下敗戦亡国、未だ、自衛隊の指揮権すら、米軍下にある、核の傘下のみならず一州に等しい有様であります。
本当の意味で日本が日本として主権を取り戻し、歴史的悲劇原爆投下の大惨事から学び得た、日本人としての、口には出さないが、心の奥深くに強く秘めた戦争反対の心を今こそ告白すべきであると思います。
只今の北朝鮮と米国の両国外交は、1934年、かつて日本が国連を離脱し一人、国連の場を去ったその姿と重なるのは、偶然か必然か。
 

縁起

当山は初め番神堂、次に祖師堂といいました。今を去る350年前、人皇112代、霊元天皇の御世、寛文年中に、勝山武兵衛というお方が「三十番神」を祭ったのが始りといわれております。
 古書には「三十番神之社ハ。法花屋布之内也。寛文年中二。勝山氏之武兵衛ト云者。本村従ヨリ。初メテ東ノ野ニ移ル。此ノ者日蓮之教ヲ信而社造リ。番神像ヲ安置ス。其後人多ク随而。遂ニ一里ト為ル之移ル。是レ法花屋布也。延享年中ニ。番神堂の社内ニ。艸堂ヲ建ル也。」とあります。
 但今、本堂の前にある石燈籠は、延享2年(1745)艸堂建立の時に立てたもので、今より268年前の事であります。
 
延享2年10月25日、寺社奉行の高橋喜正氏の指令を得て、「番神堂」と公称しました。
村人には番神宮と呼ばれ、五明村の神人間宮権太夫なる人が祭典を行っておりました。後に佛道に改まり、その檀徒の信仰は篤く、村の氏神の如く崇拝されました。
爾来、40余年の星霜を経て、天明4年(1784)に、堂宇が風雨のため大破。その後再建され100有余年がたった頃、時代は明治に移り、百物の革まる時、廃仏毀釈による神仏混交はしては成らないとの政府の趣意により、「祖師堂」と称するようになりました。
明治24年、濃尾大震災により三十番神のお堂が倒壊しましたが、番神像は一体も、紛失も毀損もされなかった事は誠に不思議なことでありました。其の後明治42年に今のお堂が完成し、昭和17年3月31日に「昭蓮寺」と改め今に至っております。

南無妙法蓮華経

立正安国、世界平和

脱原発を祈ります。

 

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